断捨離のことばかり。
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祖父母宅を片付け始めて半年以上が経ちました。
最初は父も手伝っていましたが、最近はめっきり手伝いに来なくなりました。
畑仕事と捨てるという行為への罪悪感に耐えられないのだと思います。
先日の片付けの戦利品
1.家族のモノであろうと、勝手に捨てる行為はよくない
片づけの本に
家族のモノであろうと、勝手に捨てる行為はよくない
とありました。
今回の祖父母宅のゴミ屋敷化脱出計画においては、そう実行できそうにもありません。
祖父母が亡くなって10年以上が経って片付けるタイミングはあったはず。
簡単な遺品整理を済まし、その後何も触っていないということは“必要なモノは無い”ということです。
父も現物を見なければ、そのようなモノがあったことさえ知る由もありません。現物を見るから“惜しい”“もったいない”という執着が生まれる。
父には申し訳ないですが、若い人たちで捨てていかないと作業が進みません。
先日の片付けにて寝具やシーツ類を捨てるために袋にまとめていたのです。父が見て「これも捨てるの?」「綺麗で使えそう」と袋を開けて取り出し始めました。
内心“しまった! 見つかった!”と思いました(^_^;)
現物を見ると捨てられなくなるので、知らないうちに処分するしかないです。
結局、綺麗そうなタオル関係を取り出します。
わたし「捨てないなら、持って帰って使うようにしてよ!」
すぐに実家に持ち帰るように言います。そうしないと、結局、祖父母宅に置いたまま時が過ぎていきます。
既に実家の収納の中はモノがぎっしり詰まっているので、棚の上や床や廊下に置きます。
そのまんま配置が変わっていない、連れ帰ったモノたちもあります。
祖父母宅の次は実家で時が止まっています。
それでも、祖父母宅より毎日、目につく自宅にあった方が片づける率は上がります!
時が止まってしまうモノ達は結局、あってもなくても困らないということ。
そんなこんなで実家もゴミ屋敷化が進行中です。年寄りの家って、そんなものなのでしょう……か?
2.断捨離、それは人生で初めて意識してモノを捨てたこと。
わたしも学生のころは、使わなくても使えるモノ、綺麗なモノは捨てる対象物ではなかった。
断捨離する前はこんなに手放して大丈夫だろうかと心配し、二度と手に入らないかも、と不安になります。
意識して、自分に必要かどうかという基準で手放したとき、自分の気持ちに問いかけます。
捨ててしまって大丈夫だった?
大丈夫だった。なんの心配もいらなかった。
むしろスッキリして、心が軽い! 豊かかどうかはモノを持っているかどうかではないということに気づかせてくれます。
(とはいっても、化粧品もブランドのバックも欲しいですよ! )
娘の住まいづくりで思いがけず、断捨離を迫られている父にも“大丈夫だ”という感覚が共有できればよいと思います。
3.老いては子に従え
断捨離しても困ることが無いとわかれば、水を得た魚。どんどん捨てて、スッキリしたい。
そして、これ以上実家をゴミ屋敷にしてはいけない!
祖父母宅の二の舞はごめんだ!
片付けるのはおそらく、わたしだ(´;ω;`) という気持ちから、「断捨離しなくては! 」という観念に追われます。
父からすれば、余計なお世話でしょうが。
自分は「老いては子に従えと」と肝に銘じたいものです。
これは母の口癖。早くして脳梗塞で倒れた母は、割とどんな環境でも気楽になじめる性格。
変なプライドもなく若い人たちに介護してもらっています(*´ω`*)
本日もお読みいただきありがとうございます。