めざせ★ほっこりホーム

家づくりを含めた、暮らしの備忘録。

お祖母ちゃんの死

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本日、お祖母ちゃんの葬儀がありました。

2日前の午後6時ごろに連絡があり、亡くなったことを知りました。

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母方の祖母の死。

その前に電話があったのですが、出られませんでした。

その日はパートで退勤後に就農について行政の人と話をしていました。

なので、電話には気づかなかったんですよね。

気づいたのは帰り道。

運転中なので、家に帰ってから折り返そうと思っていました。

しかし、家に帰ったら夕飯の支度やらあれやこれやですっかり忘れてたんです(-_-;)

次に気づいたのはLINEで亡くなったと連絡を受けたときでした。

家に帰ったときにすぐに折り返し電話ができなかったことが悔やまれます。

 

死に際に会えない後悔。父方の祖母の思い出。

また、会えなかった。

亡くなったのは母方の祖母ですが、父方の祖母が亡くなったときも死に際には会えなかったのです。

そのときの後悔を思い出します。

父方の祖母は祖父が亡くなってから一人暮らしで足が悪く介護が必要でしたが、親族に迷惑をかけたく無い思いから介護を拒否していました。

週一で父が会いに行っていましたが、気づいたときには手遅れの舌癌でした。

祖母の容態が急変したとき、わたしは業者の接待で先輩と一緒にフグを食べていました。

別に楽しいというわけではなく、仕事だしフグが食べられる(もちろん奢ってもらえます。)ということで行っていました。

そのときのわたしの役割はホステスのお姉ちゃんと変わらないです。

聞き役に徹し、いい感じで相の手を打ち、お酌する。営業なのかホステスなのかわからないです。

わたしがこんなことをしているときに祖母は辛い思いをしていたのかと思うと申し訳ない気持ちになります。

電話が来ていたことには気づいていたのですが、なかなか折り返しするタイミングもなくズルズルと接待で飲み歩いていました。

そうして帰宅時にタクシーに乗るときに祖母が亡くなったという連絡が入っていました。

電話があったときに気づいて駆けつければ間に合ったかもしれないのに。

 

最後に会ったときはコロナ前。

母方の祖母に最後に会ったのはコロナ前でした。

透析のため入院生活が始まったばかりだったと思います。

そして、祖母はもぅ家には帰れないと聞いていました。

わたしは結婚が決まり、その報告もありお見舞いに行っていました。

結局、祖母に旦那さんを紹介できずにコロナ生活が始まり、一度も会わせられないままこの世を逝ってしまいました。

 

コロナ禍、入院中は面談ができない。

祖母は叔父家族と二世帯住宅でした。

コロナ禍でどうしてもの場合を除き面会は出来なくなっていました。

週一で生活用品は持って行っていたのですが、叔父家族がここ3年間で会ったのは2回でした。

母も会ったのはたった1度だけです。

会ったときは既に呆けており、母のことが誰かわからなくなっていたそうです。

コロナが与えた影響は大きいです。

結局、電話で体調の急変を知らされたとしても、コロナで会うことはできなかったと思います。

感染症法が2類から5類に引き下げられれば面会がしやすくなっていたかもしれない。

そう思うと残念だと感じます。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

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