本日は阪神淡路大震災から29年です。
今思うと地震がどういう物かを知ったのはその時だと思います。
夜、余震がきたとき、子供ながらに怖いと感じたのを覚えています。
現時点で石川県の死者は232名。
一刻も早く平穏な日常が戻ってくることを心よりお見舞い申し上げます。
1月1日のこと。
2024年の幕あけとともに起こった大きな地震。
そのときの記録を記しておこうと思う。
わたしは12月29日から義実家のある埼玉に来ている。
既に頭が見え始めた初日の出を見ようとベランダへ。
綺麗な朝焼けと遠くに見える富士山が清々しい年の初めを連れてきました。
起きたばかりのひんやりとした部屋がぼんやりと暖かくなったころ、義母の作る美味しいお雑煮をいただき、そのあとアマプラで映画の『マリオブラザース』を見る。
なかなかおもしろかった。
昼前から散歩に。川沿いの土手を歩く。車が少ない。みんな今日は家にいるんだろう。
お腹が減ったころに家に戻るとお餅が焼かれた香ばしい匂いが。
のんびりとした時間が流れている。
昼から義両親はお出かけで旦那さんと二人きり。
ちょうど昨年の我が家の収支と貯蓄を2人でまとめ、反省会と今年の戦略会議をしていたところ、携帯電話の災害通知にアラームが鳴り響いた。
遅れて旦那さんの携帯もなり始める。そのときは揺れは感じていなかった。
その後、埼玉にも揺れが到達。食器棚がカタカタと小さく揺れ始め、テレビをつけると各放送局が石川県のライブカメラに切り替わっていた。
わたしは食器棚が倒れるんじゃないかと押さえていたが、揺れはすぐに収まった。
携帯のアラームが地震前に鳴ったので、関心しながらテレビに目をやる。
すると、津波の可能性が!!
東日本大震災のときのことが思い出される。
実際に到達することはない印象だが油断はできない。
すると、津波の可能性から津波警報に変わり、ニュースのアナウンサーの声色が変わる。
「海沿いの人に今すぐ避難してください。荷物や防寒具など取りに行かないですぐに逃げてください。」
10分後には津波到達と表示されていました。
強い口調で繰り返される緊迫したアナウンス、一刻を争う状況だと感じる。
その後、どのテレビ局でも能登半島地震のニュースがずっと流れて、お正月の特番どころではなくなってしまったことに地震の被害の大きさが伺えます。
1月2日。
新聞の一面は地震。そりゃそうか。
甚大な被害が出ていることは感じる。
いつも通りの朝を迎えられることに感謝だ。
午前中は浅草寺に初詣へ。
実は5年程東京に暮らしていたのに正月に一度も初詣に行ったことがない。
10時ぐらいに浅草寺に到着。
想像していたほど人はおらず、15分ほどで賽銭箱の前についた。
開いているお店も少ないので、お昼に天丼を食べて、早めに帰宅した。
夕方、テレビで地震のニュースを見ていると、急に映像が被災地から羽田空港に変わる。
最初見たときは「どこ?」といった感じ。
おそらくテレビ側も予定していなかったのだろう、アナウンサーさんも急に映像が変わり、戸惑いながら「空港・・・・・・?! 羽田空港」と案内。
羽田空港で火事が起きている? そのぐらいの感じだったと思います。
わたしはまさか人が乗っている旅客船だとは思いもせず、貨物か何かが燃えなんだなぐらいに思っていた。
その後、その飛行機が千歳空港から羽田に向かう飛行機で客を乗せていたと聞いて青ざめた。
必死の消火活動と小さな窓から見える飛行機の中は煙で充満されている。
あの映像を見たあとに乗客全員が無事だったと聞いて、本当に奇跡だと感じた。
そして皮肉にもぶつかったのは被災地に支援活動のため向かう自衛隊の飛行機で、乗組員4名の方は亡くなられたと聞いて、やりきれない気持ちになった。
結局、1日、2日の2日間では地震の被害状況の全容も羽田の状況もわからないまま、年が明けて3日目を迎えた。
穏やかに始まったと思った年明けでしたが、こんなに大変なことが起こると思いもよりませんでした。
今も辛い思いをしている方や不自由な暮らしをしている方が大勢いるかと思うと胸が締め付けられる気持ちになります。
一日も早く平穏な日常に戻ることをお祈りしております。
本日もお読みいただきありがとうございました。