ゴミ屋敷の片付けをするまで、わたしの中で「遺品整理」で片付けをするイメージはありませんでした。
遺品整理といえば現金や金品を整理するというイメージ。
亡くなった人の日用品を片付けるというイメージはありませんでした。
(生ごみは片付けますよ!)
田舎育ち(と一括りにしてはいけませんが)だとそういうイメージの人が多いのでは? と思ってしまいますが、どうなんでしょう?
少なくても都会育ちの旦那さんに出会うまではそう思っていたと思います。
家が大きいから片付ける必要がない?
祖父母の昔ながらの農家住宅は蔵や車庫、物の置き場所はたくさんある。
それゆえにわざわざ片付けようにいう気が起きない。
しかし、そう思っているとあれよあれよと物で溢れかえり、身動き取れない状況に。
元々、車庫だった場所は車が入らなくなってから10年ほどで足の踏み場がありません。
奥には植物のツタが入り込んで、いよいよヤバイ。
自然と自然に還ろうとします。
むやみに広い家は溜め込みやすい家となり、収納場所があるからといって片付けないのは危険や!
それは言い訳! 家族が遺品整理をしてこなかった。
広い家と相まって遺品整理をする姿を見る機会がないと、もちろんそこで育った人はその文化を受け継ぎます。
親が遺品整理をする姿を見ないと子供も遺品整理をするという考えが湧かない。
二世帯暮らしだった祖父は曾祖母の片付けをしていない。
なので、わたしの父も祖父母の物の片付けをしない。そのまんま。
お父さんはマイホームを別の場所に構えているため、余計に片付けの必要がない。いちいち行くだけで手間だしね。
じゃあ、物たちの最後はどうなんのよ?
世間一般では物たちの最後は家が売却されて他人の手に渡ったときか建替えのとき。
片付けや掃除は元々の所有者がもぅいないのだから、相続人がするってことになりますが……やらないですよね。
物だらけの家がなくなる直前にどうしても必要な物だけ取り出して、あとは業者にお任せ。解体なりリフォームなりやってちょうだい。
わたしはゴミ屋敷になった祖父母宅を片付けるまではそんな風に思っていました。
しかし、都会育ちの旦那さんは家の広さに限りがある。片付けと捨てるを繰り返す生活。
都会は数平米だって借りようと思ったら高い。
スペースには価値がある。
田舎はスペースが余るほどある。タダみたいなもん!とさえ思っている人もいる。
義母がせっせと物を捨てている姿を見て、残された人に迷惑をかけないという意志を感じます。
田舎育ちのわたしと都会育ちの旦那さん。
どちらの考え方も知ったわたしとしては「やっぱり物は少ない方が暮らしやすい」という結論に今は至っています。
片付けを放棄したらダメ。
自分で買った物、いただいた物、どんな物でもその最後を見届ける。
寂しい? そりゃ寂しいよ。
思い出が詰まったものや大切にしてきた物だってある。
捨てるときは「まだ使えたかも。もぅ少し側に置いて置きたい。」と思うことだってある。
けどねぇ、手放してみないとわからないこともある。
スッキリした部屋や物の少ない部屋で生活をしていると、ふと「あぁ、なんか快適。」と身に染みるときがある。
今囲まれているお気に入りの物たち、それらと生きていく。
別に捨てたからって大切にしていた気持ちまで捨てたわけじゃないんだから。
本日もお読みいただきありがとうございました。
▼住まいづくりのためゴミ屋敷状態だった祖父母の家の片付けをしています。